忍者ブログ
北海道ド田舎PCスタジオの非日常的な日常です
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

このたびの東北地方太平洋地震で亡くなられた方々へ衷心よりお悔やみ申し上げるとともに、被害に遭われ今なお不安な時間を耐えておられる被災者の方々へお見舞い申し上げます。

震災発生から2週間前の、3月24日(木)から、3週間ほど、
岩手沿岸県北の実家に行って参りました。

やっと気持ちも落ち着いてきましたので
何回かに分けて、少しずつ見てきたことを残したいと思います。

まずは、到着直後の、実家近くからの、八木港の様子です。(3/24 15時頃)

20110422-1.jpg






日頃から津波に対する警戒の強かった我が実家のある八木地区は
写真下部に映っているような避難階段(複数箇所設置)を使って
みな高台に避難し、人的被害はありませんでした。
しかし20軒を超す家屋流失、写真の通り港湾地区の建物も流され
船舶の被害は不明。
ウニアワビ等の海産物資源の流失は想像出来ない程でした…

津波が押し寄せてくる様子を見ていた人たちは
涙が出そうだったそうです。

写真を撮りに行く際、母に「泣くぞ」と云われていましたが…
あまりの変わりように涙も出ませんでした。
ある程度予想していた風景だったのか、
それとも唖然としてたのか…

無言で帰宅。(徒歩0.5分)
この時期、写真を撮るのは憚られる気分でした…
何よりカメラを持つ手が寒すぎる…

実家は、電気が止まっていて余震も多かった間、
駅前の親戚が3日ほど避難していました。

船をやっているため港の市場の裏に家があったけど、流されてしまった親戚は、
隣村、といっても実家から徒歩3分の近所の親戚宅にまだ間借りしています。

友達の親戚がやっている水産加工会社も流れてしまいました。
シメサバが復活したらツイッターでもユーチューブでも載せてくれ!と頼まれました…
帰宅(4/13水)の前の日にやっと会えたのですが、
その人を抱きしめて初めて涙が出ました。
そんな3週間でした…ともかく…寒かった!

この頃はガソリン供給が途絶えていてパニックに近かったですが
日頃満タンにしていない母は、珍しく津波の前日に満タンにしてて助かったそうです。
次の日からタンクローリーが走り回るようになり
現在はリッター制限はありますが給油可能です。

当時の写真は「広報ひろの」(pdfファイル)に詳しく載っています。
http://www.town.hirono.iwate.jp/info/koho/detail/2-86.html

広報が手元に来たとき、手が震えました。
八木港の他にも甚大な被害を被ったのかと嘆息…

あとは…寒さとの対決が続きます…まずは第一報でした。(つづく)
PR
プロフィール
スタジオうつほチーフの日常を綴ります。娯楽とかエンタメとか天知とか音楽とか歌とかクラシックとかメタルとかピアノとか大相撲とか格闘技とか活動とか隠密とか破壊とか・・・
HN:
うつほ
性別:
非公開
職業:
自称?作家
趣味:
諧謔 娯楽
自己紹介:
スタジオうつほチーフ
人生がエンターテイメントです
カレンダー
05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
自由
最新コメント
[02/16 うつほ]
[02/16 おじさん]
[02/16 遠藤]
[07/22 うつほ]
[07/21 遠藤]
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
カウンター
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright (c) うつほ解放区 All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]